昭和29年(1954年)に勃発した人権闘争として歴史に名を遺す事となった紡績会社の労働争議を描いた三島由紀夫の名作「絹と明察」をご存じでしょうか?
時を経て昭和46年(1971年)、縁あって、そのモデルとなった繊維メーカーに入社した主人公が喜寿を迎え、久し振りに故郷の岐阜市を訪れ、鵜飼の文化に触れながら、入社試験社長面談を回想するところから物語は始まります。
続・絹と明察は、主人公が絹と明察に登場した駒沢紡績に入社するという奇想天外な設定で始まる私小説で、時に子供時代や学生時代のエピソードを交えながら、入社早々から40歳の秋に大阪本社支部長を退任して非組合員になるまでの約20年及ぶ、会社の仕事と組合活動の2足の草鞋を履き続けた人生が描かれて行きます。更に、その後のライフワークとなる柿渋との偶然の出逢いも、実は必然的であったと思わせる様な流れとなっていきます。
★参考
〇絹と明察 三島由紀夫著
彦根に巨大紡績会社を築き上げた実業家、駒沢善次郎。自らを父親、従業員を子とする独特な経営哲学とその特異な人物像に、政財界に通じるフィクサー岡野は興味を持った。彼は旧知の元芸者を送り込み、駒沢と会社の動向を探ろうとする。若者と大人、地方と都会、知性と恍惚、貧と富。対立する二者の激突と新たな時代の到来を、濃密な人間模様とともに描き出す。
〇絹と明察 解説:酒井順子
駒沢紡績の社長である駒沢善次郎の国見のシーンで始まる絹と明察。同業他社の社長達や、政財界のフィクサーで岡野を招いて自社の工場を案内し、チャーターした遊覧船で近江八景を見物するという行為は、王が領土を巡り、その君臨振りを他国の王に魅せるかの様です。
駒沢の臣民である千人余の女子工員達が、桟橋で旗を振って社歌を歌いながら船を見送る姿は、岡野達からは異様に見えました。しかし、駒沢からすると、それは自身に捧げられる愛を証明する姿。両者の感覚のずれ幅は時が経つにつれ広がり、やがては破滅につながっていくのです。
〇絹と明察 解説:田中美代子
作者はこの作品について次の様に語っている。
「書きたかったのは、日本及び日本人というものと、父親の問題なんです。二十代には当然の事だが、父親という物には否定的でした。「金閣寺」まではそうでしたね。しかし、結婚してからは、肯定的に扱わずにはいられなくなった。この数年の作品は、全て父親というテーマ、つまり男性的権威の一番支配的なものであり、いつも息子から攻撃を受け、滅びてゆくものを描こうとしたものです」
(著者と一時間 朝日新聞・昭和39・11・23)
ー令和3年4月1日新版発行 新潮文庫よりー