水商売の語源

水商売の語源は柿渋とウイスキーの水割り

水商売の語源・由来については諸説ありますが、その中に、柿渋が水商売の語源になったという説があることをご存じでしょうか?

柿渋とは、青い未熟の渋柿の搾汁液を発酵熟成させたもので、平安時代より、染料や塗料、民間薬等として日本人の日常生活を支えてきたものです。
柿渋全盛期の江戸時代の話になりますが、江戸の町中には渋屋と呼ばれる店が軒を並べていました。
当時は店頭で柿渋を水で希釈して販売されていましたので、その水加減で利益が変わることから水商売と揶揄されていました。

やがて、明治から大正時代へと移り代わり、新たに登場したカフェなる店でもアルコールを扱う店が増え始め、更には、女給さん達が接客するスタイルが登場します。

当時、女給さん達が、ウイスキーの水割りを作って接客するので、その濃い薄いで売り上げが変わることから、ある人が、「水で薄める君たちも柿渋の渋屋と一緒で水商売だなあ」と言い、ここから、水商売と呼ばれ始めた様です。

特に関東大震災により、東京が大きな打撃を受けた為、カフェが全国各地に散らばったのにつれて、水商売という呼び方も全国的に広まった様です。
それが、いつしか定着していき、時代が変わると、アルコールを伴うカフェはキャバレーやクラブとなり、女給さんはホステスさんと呼ばれるようになります。
そしてホステスさんの職業を水商売と呼ばれる様に受け継がれてゆきました。

確かに、ボトルキープしているお客さんには濃い目の水割りを造れば、ボトルが速く空になって新しいボトルで売り上げが上がりますし、ハウスボトルの場合には、薄めの水割りを造ればコストは下がりますからね。

更に、化粧の濃い女性や派手な服装の女性を水商売風と表現されるようになり、略してお水と呼ばれ、お水系と表現された時代もありました。
1997年から2002年まで、タイトル名もズバリ「お水の花道」なるホステスの世界を描いた漫画が、女性誌に連載され、1999年には連続テレビドラマも放映されて、大変人気になり、2001年には、新お水の花道も放映されました。
この様に、2000年頃までは、水商売と言う言葉は、主にクラブのホステスさんを指していたのです。

それが時代と共に変化して、いつしかホステスさんではなく、女性スタッフさんと呼ばれるようになり、今ではホステスは完全に死語状態で、代わりに、水商売という言葉は、飲食業全般を指す言葉としてに広く使われるようになった様です。

以上、如何だったでしょうか?
諸説ある中で、これが一番具体的で結構説得力があるように思われます。


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